Hibiscus’s blog

夫と娘との三人暮らし。あずきバーとガーデニングを愛し、日々の徒然や朝ドラの感想を気の向くままに。

懐かしい平屋と私の原風景

昨年のドラマ「ひらやすみ」が、とても居心地のいい話しで、楽しんで見ていた。

話しはもちろんのこと、やはりあの舞台となった「ひらや」がいい、断然いい。

 

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昭和の頃には普通にあった平屋、子どもの頃を懐かしむ気持ちが沸き起こって来る。

で、現在住む我が町を自転車で走り回っていると、

意外にこのタイプの平屋が残っている事に気がついた。

歴史を重ねてきたであろう年季の入った木造家屋、大体そこそこの庭がある。

桜や柿やビワの木等が植えてあり、併せて木の生垣がある家も多い。

 

ただやはり、無人となっている家が多いのも事実だ。

古い平屋は身内とはいえ、中々そんなに簡単に引き継げないだろう。

ドラマの「ひらや」では、ばあちゃんが友人であるヒロトにその平屋を譲るが、

さすがに現実では中々ないことであろう。

 

しかしだからこそ、このドラマがより輝くのだろう。

あの家を見ているだけで心がホッとするのである。

こんな設定でこんな物語を見たかったな、という気持ちが代弁されているかのごとく。

 

そんな事を思いながら、街にある平屋を見て回っていると、

ふと思い出す。母の実家を。

 

そう、母の実家も平屋、バリバリ年季の入った平屋であった。

いつ頃建てられたかは知らないが、何しろ戦前の建物である。

母が6,7歳の頃、第二次世界大戦が激化する少し前に、

母一家はそこに移り住んだそうだ。

母は、そこで戦時戦後を生き抜き、結婚するまで生活をしていた場であった。

 

母のその実家には、私が6歳の時まで時折訪れていた。

6歳の時、私の祖父が亡くなったため、その家は畳むことになった。

それ以降一回も訪れていない。

何しろ6歳、ほんの数回位なので、おぼろげな記憶があるのみである。

 

断片的な記憶しかないが、しかしその記憶の風景は鮮明に覚えている。

道路から少し奥まったところにある古い「平屋」。

玄関を上がると、すぐ二畳間。ここが叔母の寝処であり、化粧箱などがあった。

そして、すぐに主である生活の場、8畳~10畳、炊事場、ぼっとんトイレ!

ここで、母一家5人は生活していた。

昔はこれ位の居住面積で5人は珍しくはなかったのだ。

 

トイレの窓から見えた菜の花畑と電車。

荒川の土手、荒川の向こうに見える鉄橋と電車。

ミニ遊園地のごとくの遊具があった児童遊園、

天井の高い銭湯(お風呂後にここで飲んだコーヒー牛乳の美味だったこと!)

電車が走る高架下をくぐった記憶。

 

大体これ位であるが、決して忘れられない大切な断片風景である。

私の原風景、大事な心の財産である。

母の亡くなる少し前に、あの菜の花畑と電車の話をしたら、

嬉しそうにうなずきながら聞いていた姿を思い出す。

住所はわからないが、その辺りをそのうち訪れてみたい。

母を思い出しながら。