Hibiscus’s blog

夫と娘との三人暮らし。あずきバーとガーデニングを愛し、日々の徒然や朝ドラの感想を気の向くままに。

とある病院長のつぶやき。(ショートストーリー)

 

私は、とある病院の院長である。

専門分野は外科。

医者として歩き始めてから、もう三十年以上になる

 

患者さんに信頼され最善の医療を尽くすこと。

医療従事者とのコミュニケーションも円滑にすること。

常に、医療知識のアップデートも怠らないこと。

 

この三つを大事にしながら、

天職ともいえるこの職業に、誇りを持って生きてきた。

今後も一線を引くその日まで、

全力で医療の仕事を全うしてくつもりだ。

 

さて、今日も一日が始まる。

いつもと変わらずに、診察室に入る患者さん達に、

全力で向き合うのみである。

 

そろそろ正午を過ぎた。

 

今日最後の女性の患者さんだ。

 

この患者さんとの付き合いも長い。

かれこれ9年位になるだろうか。

 

今日はご主人も一緒である。

私には結構ポンポン質問してくるが、

妻の事を気遣ってのことだから、と理解している。

 

定期的な検査結果の説明と共に、

今日は、これからも良い状態をキープしていくための、

新たな投薬の話をする。

そして、薬の量を厳密に決めるため、現在の身長と体重を確認した。

 

「この画面上にある以前のデータで変わりないですか?」

 

これは、薬の量と関係があるための確認事項である。

この身長体重のデータは、二年前のものだろうか。

 

その瞬間、今までしっかりとしていた患者さんの

落ち着きが、なぜかなくなってきた。

 

「あ、身長は、1cm縮みまして…。 

 えーと、体重は、えー、ど、どうだったかしら?

 あの、多分そんなに変わらなかったかと…」

 

返事がしどろもどろになり、要領を得ないのだ。

 

埒が明かん。こんないい加減ではダメだ。

正確な数字があって、はじめて適格な薬の分量が決まるのだ。

身長1cmはどうでもいい。問題は体重だ。

 

私は診察室の後ろに向かって、看護師に声をかけた。

「おーい、体重計を持ってきてくれ」

 

すぐさまアナログな体重計が運ばれて来た。

患者さんの目は泳ぎ、落ち着きがない。

体重計に乗りたくない、と、目が訴えている。

 

無意味な訴えを却下する。

「これは、薬の量を決めるために必要ですからね」

と、柔和に説明する。

 

患者さんは、後ろのご主人をチラと振り返って、

無念の表情をしている。

そして渋々、嫌がっている風情を醸し出しながら体重計に乗る。

まるで、最後の審判を受けるがごとくに。

 

その時、私は思い出した。9年前の出来事を。

 

あの時、この患者さんに初めて病気の説明をしたのだ。

病を良くしていくために、治療をしていくと。

そして、やはり薬の分量を決めるため、体重を聞いたのだった。

 

その瞬間、反射的に威勢よく立ち上がり、

「ハ、ハイ、○○Kgです!」と叫んだのである。

 

そして、後ろにいるご主人に向かって、

 

「なによっ!」

 

と睨みつけながら威嚇したのである。

ご主人は、神妙な笑いを押し殺したような表情をしていた。

 

その時、診察室が奇妙な空気に包まれた。

 

病には真剣に向き合わなければいけない。

だから正確な情報を説明し、患者さんと意思疎通を図る。

とても大事な局面なのだ。

 

真剣勝負なのだ、この時間は。

 

しかし、これは一体どういうことなのか?

 

病のことより、夫に体重を知られることの方が

無念に感じる、という事態は、

病室を奇妙な空気にさせていた。

 

なぜこのようなことになっているのだろうか?

ここでは通常は、厳かで真剣な場面になるものである。

病より体重が気になる、などという心理状態は、

あり得るのだろうか?

 

私は、表情を崩さずに話を続けていった。

実は、笑いたかったのかもしれないが。

 

そんな9年前の事を、不意に思い出しながら、

体重計に乗っている患者さんを見た。

看護師が体重計を覗き込み、数字を言う。

 

「おや、画面上にある二年前の数字と違いますね。

 ○㎏増えていますね」

 

新しい画面に、新しいデータを書き換える。

事務的なことは事務的に終わらせる。

 

患者さんの様子は、相変わらず落ち着きがなかった。

 

「家で計る体重とは違うわ…」

 

など言っていたようだが、とにかく話を進める。

 

体重の話を除いては、円滑に平和に話は進んだ。

患者さんも病の話に関しては、しっかり向き合う姿勢がある。

話も治療も進みやすいだろう。

 

体重の話を除いては。

 

世の中、様々な患者さんがいる。

私も、今日は新たに患者さんのタイプを

アップデートする必要があると認識した。

 

この患者さんとも、まだ今後長く付き合っていくだろう。

体重に関しては、おそらく毎度このような事態になると、

理解して向き合っていこう。

 

 ≪ 完 ≫