さあ、恒例今日のNHK朝ドラ「風、薫る」第47話の愛ある感想。
(まず最初は、今日の私の記録です)
今日はね、病院に行く日だったの。
診察の順番を待合室の椅子に座って待っていると、
見覚えのある看護師さんが通りかかった。
私に気づくと、ポンと軽く体に触れ、
二言三言を交わして、また去っていったわ。
そういうちょっとした瞬間、
顔を見て体に触れ、二言三言を話す。
それだけでね、なんかホッとする、救われるのね。
この看護師さんは、長いことお世話になっている。
2年くらい前の、ちょうど今頃だったかな。
乳がんが再発で抗がん剤治療をしていた時、
この看護師さんが担当になり、ずっと治療のお世話をしてもらった。
そんな看護師さん、いろいろ多忙な日々だろうけれど、
患者へのちょっとした心遣い、
こういうものが、心身弱り切っている時は、魂に染み渡るのね。
優しい眼差しと言葉、それに温かい手。
これが、私と言う患者が欲しているもの。
(もちろん患者により、望むものは違うかもしれないけれど)
だからこそ、今日の「風、薫る」を見て思ったの。
確かに、看護師と言う仕事は、
優しさだけではやっていけない。
向き不向きがはっきりしている仕事だわ。
担当した患者に入れ込み、心から看護をし、
亡くなった場合、泣き崩れたままではいけない。
患者に寄り添う、しかし同時に看護婦としての責務もやり遂げる。
即ち、適性というものがあるのだと。
今回のゆきには、それがなかった。
患者の死に直面して、初めてそれを悟ったのだろう。
「看護婦程、どんな人間かが問われる仕事はない」
真剣に考え、適性がないと判断し、
看護婦の仕事を辞めることにしたゆき。
ナイチンゲールの言葉に感激し、飛び込んだ看護婦の道。
道半ばで、適性がないと自分自身で判断し、
身を引く決断というのは、相当な覚悟だろう。
「私のため、患者さんのためにも」辞める決心をした。
「誠実でいたい」
ために。
ここまで潔く、辞める覚悟をしたならば、
エールを送らざるを得ない。
正直、もっと苦しみながらでも続けたらどうなるのか?
という思いも、ないでもない。
世間一般からは、
「これだから華族のお嬢様は……」
と皮肉っぽく見られるかもしれない。
いざとなれば、お嬢様の世界に戻ればいいのだろうから。
お嬢様のゆきは、いざとなったら
またお嬢様の世界の戻ればいい、と言う皮肉な見方も出来る。
一方、
後がない孤児の直美は、幸か不幸か看護婦の適性があった。
なかった場合、直美はどうしたのか?
そこまではわからないが…。
生まれによる環境、仕事の適性など、
いろいろ複雑に絡み合っている。
世の中、一筋縄ではいかない。
でも、やはりゆきは自分で決断した。
看護婦の道を行かずに、今後は別の道を歩むであろう。
あの覚悟を決めた目を見れば、
将来は、自分の意志を持って人生を歩んでいくだろう。
やっぱり、ゆきにはエールを!
我が庭のユリ。
少し花びらが欠けていても、たおやかな美しさがある。
